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多様性を持つ建築or多様な感受を包容する建築

ものの潜在性、もののポテンシャルについて考えていた時に見つけた平野利樹の論考より。

ハイデガーのハンマーの話、ハーマンのハンマーの話、メイヤスーの相関主義への批判などをちら見しながら、10+1の記事を再び読む。

テキスト自体はわからないわけでもないが、挙げられる建築作品が特殊すぎて、建築としての解釈が理解しがたい。

まま、2つの映画の登場人物の、2人目の例えは良く分からない…本人に意識がないのに包容している、と言えるの…?という風にいう人もいた。


ここで挙げられる建築
O-14 by Reiser+Umemoto
https://www.google.co.jp/search?q=O-14+reiser+umemoto&ie=UTF-8&oe=UTF-8&hl=en-jp&client=safari



(以下10+1の記事脚注より引用)

「建築自体が多様性を持っている」と「多様な感受を包容すること」の違いに関連して、ジェシー・ライザーと梅本奈々子が興味深い考察をしている。
このニューヨークを拠点に活動する建築家は、自身の設計した《O-14》について書いた論考の中で、ウッディ・アレンピーター・セラーズの映画を次のように比較し、自身の追求する建築のあり方を説明する。
ウッディ・アレンの映画『カメレオンマン』(原題:Zelig)での主人公ゼリグは、彼の置かれた状況に対応して彼自身も変貌する。例えば、インディアンと接触しているときはインディアンに、ニュルンベルクではナチスの親衛隊に同化してしまう。
一方、ピーター・セラーズの『チャンス』(原題:Being There)の主人公で、知的障害をもつ庭師であるチャンスは、何気ない発言を周囲の人間に好意的に曲解される存在だ。チャンスは単に庭の手入れの話をしているだけなのに、実業家には経済政策についての示唆的な暗喩と受け取られるといった具合である。そしてライザーと梅本は、《O-14》をチャンス的なものと位置付けている。
ゼリグは、置かれた状況に応じて変化するという点でコンテクスチュアリズム的であり、たしかに自身は多様性を持っている。しかし、ひとつの場所につきひとつの感受しか許容しない。これに対してチャンスは、ゼリグのように自身は変化しないものの、周囲の人々による多様な感受を包容する存在である。

以下を参照。Reiser + Umemoto, O-14: Projection and Reception, AA Publications, 2012, pp.40-41.

引用元
スペキュラティヴ・デザインの奇妙さ、モノの奇妙さ──建築の「わかりやすさ」を越えて
平野利樹(東京大学建築学専攻博士課程)
http://10plus1.jp/monthly/2016/04/issue-02.php