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道具と作品、表現

絵が模型がめちゃくちゃ上手い
ソフトウェアがめちゃくちゃ使える

それは、良い彫刻刀を持っているだけであって、良い彫刻が作れるかどうかとは全くの別物では。

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小学生の時に買う5本か6本の子ども用の彫刻刀セットは、(おそらく)刃の鋭さよりも手入れしなくて良い事を優先したような刃であるし、基本的な数種類の刃先のものしか入っていない。

それらに加えて、良い材質ですごく綺麗に掘れるものや、特殊な形の刃先のものを手に入れれば、子ども用のセットでは作れない、ダイナミックな、複雑な彫刻を作ることが出来る。

良い彫刻刀を持っていれば、表象として良く見える彫刻が出来る(かもしれない)が、彫刻(作品)そのもの、表現の本質的なところではそれは違うのでは、という話を、ある優秀なアドオンを触っていて少し思い出した。

優秀なアドオン → Weaverbird – Topological Mesh Editor | Giulio Piacentino


作家(何かを表現することを生業にしている人間)の立場にいる大野さんにもっと色々つっこんで聞いておけばよかった。

表象として良く見える、悪い作品なんでもない作品てどんな…



良い彫刻刀を持っている知っているからこそ、それからインスピレーションを受けて、表現の幅が広がると言われれば、確かにそうなのですが。



もっと言ってしまうと、表現のもととなるインスピレーションを求める(歴史や文脈を探る、ピンタレストでネタを探す、人と話してアイデアを広げるetc)こと、それも良い彫刻刀を探しに行っているだけという、どこまでが道具でどこからが作品の本質かという話になってしまいそうで。