161207

レクチャー ツバメアーキテクツ

現代建築論ゼミ
飯島洋一

テーマ
建築と大衆

ゲスト
山道拓人、千葉元生(ツバメアーキテクツ)
tbma.jp




山道+千葉のレクチャー

ツバメアーキテクツの構成
Design + Lab
space + social

5つの要素
Typology
Participation
Informal
Element
Transform

Typology:類型学
阿蘇草原情報館」
阿蘇のビニールハウスの反復と、桂離宮の庭とのつながる雁行の構成を参照。
建築の形態や、空間の作り方を学ぶ。
「旬八青果店
ベトナムのホイヤンの商店を参照

Participation:参加
荻窪ワークショップ」
7回の事前ワークショップによって新築であるが、住人の要望によってリノベ後のような改善された建築となった。

Informal:脱制度的
「高島平の居酒屋」
居酒屋の昼の時間を寄合所的にタイムシェア
何とも言えない施設、昼から夜の移行の過程のなんとも言えない空間。
「牛久の歯医者」
休みの日は待合室をリビングにしてもよいのではないか。
(診察室の構造の表しがすごかった)

Element:部分
「朝日メディアラボ」
ベットや畳など様々な部分の集合としてのオフィス。
ギリシアアテネの、アゴラを参照。

Transform:変形
「朝日メディアラボ」
家具は様々な使い方をするオフィスのために可動式に。
「蔀戸の家」
アーティスト2人のための家。
二重構造の窓で、蔀戸という窓を採用し、いろいろな使い方をできる。




飯島洋一コメント

近代建築の体系化、エリートの歴史、それに対しての非エリートの存在。
その表れとして、トランプの勝利やSNSでの炎上。
3.11以後の建築の姿とは?
3.11以後の建築の例としてあげられる、
伊東豊雄らによるみんなの家はスターの建築である。
拙著「らしい建築批判」など。
エリートVS非エリート、スターVS民意
陪審員的な設計、専門家+アルファの設計なども伺える。
そんな時代の曲がり角的なタイミングで若い建築家にきていただいた。
一つあまり関係のない質問として
ツバメアーキテクツという名前の由来は?
(飯島は住宅特集 2000年08月号で「『崩壊の後で』ーユニットは建築批判」という論文を発表して、結構話題を呼んだらしい、それについて五十嵐太郎による解説がこちら)
tenplusone-db.inax.co.jp


山道+千葉

個人名でやらない。
ツバメは人の家の軒先を借りている、そのイメージがある。
象設計集団的な、動物路線。



質疑
学生の質問:Q
山道+千葉の回答:A

Q.1
ワークショプ的な設計によって建築は変わるのか?
また、トップダウンによる建築家のエゴ、磯崎新のような芸術家のような建築家はいなくなるのか?


A.1
ワークショップといっても様々なものがある。

ツバメの荻窪事前リノベーション
ヒアリングやリサーチといった色が強く従来の設計で拾いきれないものを拾い上げる。
ヒアリングであって、決定のところではない。
新井千秋の大船渡リアスホール
直接的な介入、具体的な形態や機能など。
アレハンドロ・アラヴェナ
新たな建築の発明を目指す、未知の可能性に向けたディベートなど。

トップダウンというのは必ずしも悪ではない。
形がすごいものでもうまい使い方というものがあるかもしれない
建築に対してそれぞれ使う人というものがいる。
公共施設と住宅は違うものであるし、芸術性が全くなくなるということはない。


Q.2
旬八青果店などの公共との関わりを見せてもらったが、
リチャード・セラの傾いた弧について
公共の場での芸術表現についての立ち位置は?

A.2
公共の場では、戦略的に。
人々が利益を受けれるように or 挑発的な表現。
傾いた弧では、批判を受けたが、
同じセラでも、カナダの空港の彫刻は、とても良い印象を人々に与え、来る人々を受け入れている。
(公共の場にはみ出している)旬八青果店について、ギリギリのゾーン。
同じように考えている屋台のプロジェクトなどがある。



最後に飯島より質問

自分たちの仕事は作品ではなくプロジェクトと呼んでいると話されていたが、
美というものの追求はどう考えるか?
篠原一男から磯崎新、そしてザハ・ハディドへ。
藤村龍至はこれについて答えられなかったが、
若手建築家のリアルとして、芸術性の追求や、重きの置き方は?


山道+千葉

様々な価値観の横断
ポストインターネットとして、価値観の移行があった。
小さな活動ー大きな資本

機能美とは違う実践の中での現実的な美というのものを探している。
建築家なしの建築であげられたような実践の中での美。
スイスのある村では、
1人の建築家がいくつかの建築を手がけると、その村の大工がそれを真似たため、
村全体がオリジナルとそのコピーが混在するが良い状況となっていた。



追記

山道さんFBよりお借りします。




====================

参照しているということをはっきり言うのが印象的。
参照元はその辺の現代建築ではなく、
建築家なしの建築のような、集落の教えのようなところからだった。

最後の美の追求についてのところでも、
無名の美、非エリートの中での美に触れていたが、