170703

伽藍とバザール(原題 The cathedral and the Bazaar)」 エリック・S・レイモンド 著、山形浩生 訳 を読んだ。



伽藍とバザールの概要は、 Linux 用語辞典より概要を引用します。

1998年にEric Raymondによって書かれたオープンソースに関する論文。ソフトウェアの開発の方法論として、伽藍方式(Cathedral)とバザール方式(Bazaar)があるとし、Cathedralの例としてFSFを、Bazaarの例としてLinuxを挙げている。この文書は、Netscapeオープンソース化に影響を及ぼしたとされている。


Cathedralとは、設計者がすべての計画と体制を確立して開発する、企業などで一般的に行われている開発方式をいい、あたかも大聖堂の建築を行うがごとく厳かで大がかりであることを指す。これに対してBazaar方式とは、知らない者同士がバザーで売買を行うようにアイディアや技術、またはソフトウェアそのものを持ち寄って互いに交換しながら作り上げていくことを指していると思われる。


Bazaar方式では、全体をとりまとめる責任者がいないにもかかわらず、それなりの秩序を保ったコミュニティが成立している。Bazaar方式が有効であるためには幾つかの条件があり、まず開発の最初から始めることは難しく、とりあえず何か動くものが必要であること、最初はそうでなくても、将来よいものに発展していくであろうということを開発候補者たちに納得させられること、また参加者の意見やアイデアを受け入れることができることが必要であり、コーディネーターやリーダーの対人能力やコミュニケーション能力が優れていることが不可欠であるとしている。

Linux 用語辞典(http://www.atmarkit.co.jp/aig/03linux/candb.html

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建築設計の手法において、この「伽藍とバザール」は多く参照される。


厳格な設計図を決め、トップダウンで作られる商用ソフトを、伽藍(もしくは原題より直訳し大聖堂)とし、
オープンソースフリーソフトウェアとして全世界の多数の人間が参画しているにおいて Linux や、著者が開発を受け継いだ fetchmail 等を、広場で開かれるようなバザー、市場と例え、
すごく簡単に言うと、多数の参加、住民参加の方が良いものになるよ、ということとされることが多い。



それに対して、Linux や、 fetchmail の開発に参加している人は、
素人ではなくある程度コンピュータの知識がある人(その程度というのは、MicrosoftIBMで働いている人間も参画しているとされる)であって、
建築について素人であるその辺の子どもや、あの辺のおばちゃんをとっ捕まえてきて、建築設計に介入させれば良いのとはまた違うという批判があり、これもまた多く挙げられることだ。



この批判に対して幾つかの例を挙げると、
50回のワークショップを行い、外観のイメージや欲しい機能などを洗い出した新居千秋の大船渡リアスホールや、
工事中のシェアハウスに入る予定の住人にたいし、複数回のワークショップをして、問題が起こる前に事前リノベーションを行ったツバメアーキテクツの荻窪家族プロジェクト、
複数回のワークショップを行い、その都度、部屋の数や機能について投票によって枝切り、切断した平田晃久の太田市美術館では、
建築について素人である子どもや、おばちゃんにも設計に介入できるようにオーガナイズされていた(ようだ)。

大船渡リアスホール↓
PROJECTS / CHIAKI ARAI URBAN & ARCHITECTURE DESIGN

荻窪家族プロジェクト↓
http://tbma.jp/lab/636/

太田市美術館↓
太田市美術館・図書館 ART MUSEUM & LIBRARY, OTA




最初のオープンソース万歳という誤読(?)を乗り超え、
それに対して、(色んなところに多く書かれている)素人が設計に参加するのは違うという批判があった、これも理解し、
そろそろその次の段階として、
うまくオーガナイズできれば、素人であっても参加できるようになる、
オープンソース的な、多の力をうまく利用したデザインにつながるのではないか、
そういうテイストで、このテキストをまとめにしようと思います。






あとは上の内容と直接はつながりませんが、気になったフレーズを載せておきます。

賢いデータ構造と間抜けなコードのほうが、その逆よりずっとまし。

とても大事、心がけたい。


自分の問題のとらえかたがそもそも間違っていたと認識することで、もっとも衝撃的で革新的な解決策が生まれることはよくある。

気をつけたいです。


(デザイン上の)「完成」とは、付け加えるものが何もなくなったときではなく、むしろなにも取り去るものがなくなったとき。

これは、アントワーヌ・サンテグジュペリ(かれは児童書の古典を書いていないときには、飛行家で航空機設計家だった)の言葉だそうです。深いです。


おもしろい問題を解決するには、まず自分にとっておもしろい問題を見つけることから始めよう。

よく言われますが確かにそうだと思います。





(終わり)



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