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Appleの、様々な肌の色に対応する絵文字

facebook messengerにて、iPhoneからの絵文字が、PCのブラウザで文字化けした。

iphoneのmessengerアプリにて↓
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PCのchromeにて↓
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PCで、これをコピーしようとすると四角形と肌色が2つで1つであった。
この文字化けから、Appleの様々な肌の色に対応する絵文字の仕組みが見える(僕の勝手な予想ですが)。

様々な肌の色に対応する絵文字は、おそらく輪郭と肌の色2つのパラメータでできていて、PCの写真の、左の四角形は輪郭の表示エラーで、右が肌の色になっている。

白い手の画像、黄色い手の画像、黒い手の画像と、それぞれの画像を用意するより、輪郭だけのデータといくつかの色のデータにわけて用意して組み合わせるほうが、都合が良い(軽い?)のだろう。



他の肌の色で同じ絵文字を送って試してみたいなと思ったものの、絵文字の場所がわからなかったので検証できず...

輪郭 X 色
f:id:ysok_na:20170430145318p:plain




Appleの、様々な肌の色に対応する絵文字は、これです。
アップル、絵文字に人種と肌の色の違いを導入。iOS 8.3 / OS Xベータから - Engadget 日本版
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気持ちの悪いUX、UI。そのアーキテクチャ。

某ゲーム会社で話したことのメモ+αです。


よくあるスマホゲームのデザインです。
武器を一つ選んで、ストーリーを進めるゲームのイメージです。

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公開の初めの頃は、ゲームがまだ小さいので、わかりやすい階層構造になっています。

武器を一つ選んで、ストーリーを進めるゲームを書き起こしてみると、以下のようになります。

最初期のシンプルな状態

ゲーム
 ┣ ストーリー
 ┃ ┣ ステージ1
 ┃ ┣ ステージ2
 ┃ ┗ ……
 ┗ 装備
   ┣ 剣
   ┣ 槍
   ┗ 鉄砲


最初は、このようなシンプルなアーキテクチャです。
何も問題はありません。


ユーザーを満足させるために、ゲームとしてのボリュームを増やしてみます。

例えば、武器とともに、防具を選べるようにするとします。

その際に、一番上に乗せたイラストのUIのまま、防具のオプションをつけてみます。
(イラストのUI:ゲームのメインのページの下部に、ストーリーと装備の2つのメニューが並ぶもの)

気持ちの悪い例

ゲーム
 ┣ ストーリー
 ┃ ┣ ステージ1
 ┃ ┣ ステージ2
 ┃ ┗ ……
 ┗ 装備
   ┣ 剣
   ┣ 槍
   ┗ 鉄砲
   ┗ 防具
     ┣ 軽い鎧
     ┣ 重い鎧
     ┣ 軽い盾
     ┗ 重い盾

メインページのUIを維持することを優先するあまり、
武器としての装備と同時に、防具を選択するという操作が分かりづらくなっています。
これが、気持ち悪いUXにつながるかと思います。

これと同様に、新システム、期間限定イベントなどが追加されていき、どうしょうもないものになっているものが見受けられます。
(最近では、ポケモンGoでも、そのようなバージョンが何度かありました)


設計された後に、後付けられたものにより階層構造が崩れたことに起因しているので、階層の整理をしてあげるよな解決例を考えてみます。

気持ちの悪くない例(1)

ゲーム
 ┣ ストーリー
 ┃ ┣ ステージ1
 ┃ ┣ ステージ2
 ┃ ┗ ……
 ┗ 装備
   ┣ 武器
   ┃ ┣ 剣
   ┃ ┣ 槍
   ┃ ┗ 鉄砲
   ┗ 防具
     ┣ 軽い鎧
     ┣ 重い鎧
     ┣ 軽い盾
     ┗ 重い盾

装備の中で、武器と防具どちらも好きなものを選択できるということが明確になりました。
が、階層が深くなってしまうので、操作が多くなることや、読み込みに時間がかかるなどにより、
ユーザーがヘイトと感じるかもしれません。



もう1つ例を挙げてみます。

気持ちの悪くない例(2)

ゲーム
 ┣ ストーリー
 ┃ ┣ ステージ1
 ┃ ┣ ステージ2
 ┃ ┗ ……
 ┣ 武器
 ┃ ┣ 剣
 ┃ ┣ 槍
 ┃ ┗ 鉄砲
 ┗ 防具
   ┣ 軽い鎧
   ┣ 重い鎧
   ┣ 軽い盾
   ┗ 重い盾

こちらも、装備の中で、武器と防具どちらも好きなものを選択できるということが明確になりました。
が、最初のUIが崩れてしまうので、再びデザインを考える必要があるかもしれません。


悪い例のように行き当たりばったりでつくられたUIによって、とても気持ち悪いUXが生まれる、
そのようなアーキテクチャの設計に興味があります、という話をしました。

同様なことが起きているのを、HTMLなどのデザインでも見かけることがあります。
気をつけていきたいです。




余談になりますが、このテキスト内で何度かアーキテクチャという言葉を使いました。
建築におけるアーキテクチャはどこにあるのか、ということに興味があるのですこし掘り下げます。
アーキテクチャという言葉を文章で考えてみます。

軽やかで心地よい建築空間をデザインする。(建築空間=アーキテクチャ
軽やかで心地よい建築空間をデザインするために、定義やシステムを考える。(定義やシステム=アーキテクチャ

前者であっても、コンセプトを考えている時点で、後者と同じでは無いかと答える人もいるかと思います。

問題はそこではなくて、最終的に自分でGoサインを出す基準として、できる建築空間と、つくるための定義やシステムのどちらを重視するのかということになります。

狭義でのアーキテクチャ、広義でのアーキテクチャ、どちらも間違ってはいません。

個人的には、後者の意味でのアーキテクチャの設計をしていきたいと思います、ということで、前半に書いた気持ち悪いUXを生む階層構造の話を、今日はしてきました。




さらに余談になりますが、ローレンス・レッシグによる4種の縛り、
われわれの社会において、人のふるまいに影響を及ぼすものには、(1)法、(2)規範、(3)市場、(4)アーキテクチャ(またはコード)という4種類がある、
というテキストを思い出しました。
こちらでは、完全に後者の意味(定義やシステム=アーキテクチャ、ここではルールといったほうがわかりやすい)ですね。

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リアルなVRができたあとには…

VR(バーチャルリアリティ、仮想現実)が、とてもリアルになったときに、
そのときにそれがリアルになるのか仮想現実=現実のレベルに達するかなど、
いろいろな議論があるが、今現在の仮想現実について、稲見昌彦が面白い例を挙げていた。

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3D CGのレンダリング時間、「STAND BY ME ドラえもん」

Blenderで約4秒間(125フレーム)のCGアニメーションを制作しました。
レンダリングが、1280ピクセル x 720ピクセルのサイズで、30時間かかりました。

その待ち時間の間に、山崎貴が監督したCG映画「STAND BY ME ドラえもん」のレンダリングがどんなものかと調べてみたのでまとめておきます。


3DCG映画『STAND BY ME ドラえもん』制作秘話 - スタッフが追求した徹底的な「リアル」とは (1) 1年半以上かけてキャラクターやひみつ道具を3D化 | マイナビニュース

【特集】【本日公開】映画『STAND BY ME ドラえもん』制作の舞台裏 ~『ドラえもん』がフル3D CGに - PC Watch

ASCII.jp:えっ、指紋つきのドラえもん!? 3DCGに込められた「質感」へのこだわり (1/3)

しばらく引用が続きます。
引用はあまり良くない(引用とわかるようにしているのでコピペとして怒られることはないのかなと思います)のですが、
インターネット上の情報は、記事が(場合によっては掲載メディアごと)消されて消えてしまったり、URLが使えなくなってしまったりと、情報が保存されないことがあるので、今回は引用というかたちにします。

制作期間は、企画から4年、実作業で3年半。そのうち制作の準備段階で1年半もかけている。この準備をしっかり行うのが白組の制作スタイルだ。映像を制作する行程について、八木氏が教えてくれた。
マイナビニュースより)
(補足 : 八木氏とは、山崎とともに監督した八木竜一)

リアルさを表現するにあたって、質感の表現にも新しい技法が取り入れられている。「サブサーフェイス・スキャタリング」と呼ばれる、光が皮膚などの表面を透過して、内側が透けて見える様子を再現する技法が、ひみつ道具や、キャラクターたちの肌にふんだんに使われている。未来のひみつ道具はより未来的に、キャラクターは生身を感じさせるような暖かみのあるリアルな質感となった。

とはいえ、サブサーフェイス・スキャタリングは負荷のかかる処理でもある。レンダリング環境はメモリを32GB以上に統一していたが、複雑なシーンでは、1枚の絵をレンダリング(計算)するのに、6時間かかることもあったのだそう(映画は95分あり、12万枚以上の画像が必要)。

それ以外の一般的なシーンでも、1枚あたり1時間かかるのは当たり前。リアルなキャラクターやひみつ道具が完成した裏には、質感にこだわり抜いたスタッフの職人魂があったのだ。
マイナビニュースより)

一般的なシーンを描くのに用意したポリゴンデータは、背景データとキャラクターデータを合わせて4,000万ポリゴン前後。
ちなみにキャラクターをレンダリングする際にも、こうした背景データからの陰影や映り込みの影響が計算されている。
ドラえもん」で29万ポリゴン前後、のび太で86万ポリゴン前後という
マイナビニュースより)

空き地のシーンは、空き地部分だけで約1400万ポリゴン、周辺にある塀や民家を合わせて約3500万ポリゴンで構成されている。
使用している3DCGソフトはオートデスクの「3ds Max」
マイナビニュースより)

実際の映像制作に使われたデルのワークステーション「Precision T7600」。
スペックはCPUがIntel Xeon E5-2665(2.40GHz)、メモリが64GB、ストレージが500GB SATA3 HDD、OSがWindows 7 Professional 64bit
マイナビニュースより)

ここまでマイナビニュース

「各シーンでは、まずキャラクターの骨組みのような単純なモデルを用いて、動きなどを作り込んで行きます。それから最終的にレンダリングを行なう段階で実際のモデルと差し替えていくんです」と説明する。

実際のモデルと差し替えた後、いよいよレンダリングが始まるわけだが、白組では数百台のマシンを用いて、CPUでレンダリングを行なっているという。レンダリングにかかる時間は、今回の『ドラえもん』ではまだすべては計測していないそうだが、鈴木氏によれば「前回の『friends もののけ島のナキ』では1フレームあたり約12分を想定して制作していました。『ドラえもん』では1枚あたり1時間なんというのはよくありますよ。タイムマシンが手前に迫ってくるような、非常に重いシーンでは、1フレームあたり6時間かかりましたね」という。
PC Watchより)

『STAND BY ME ドラえもん』の制作には、デルのワークステーション「Precision T7600」が6台利用された。導入期間は2012年11月から2013年の2月。主な仕様としては、CPUにXeon E5-2665(Sandy Bridge-EP/8コア/2.6GHz/L3キャッシュ20MB)、メモリ64GB、500GB HDD(7,200rpm)、OSにWindows 7 Professional(64bit)などを搭載している。

鈴木氏は、「当初はPrecision T5500を利用していたんですが、制作の中でスペックを強化していきました。最終的に合成のチームはPrecision T7600を、レンダリングには同じくデルのOptiPlexシリーズを多数利用しました」と説明する。
PC Watchより)

ここまでPC Watch

白組 CGスーパーバイザーの鈴木健之氏「キャラクターの計算をするにも背景データがちゃんとなくちゃいけないんです。たとえば、空き地の中だけで1400万ポリゴン。外の民家とかも3500万ポリゴン。リアルタイムでは開けないですね。計算して初めて絵がわかる。ちなみにキャラクターで言うと、ドラえもんが29万ポリゴン、のび太が86万ポリゴン。一般的なシーンで、4000万ポリゴンぐらいです。データは最終的にレンダリングサーバーに全部集約されるんですが、普通のマシンでは耐えられないですね。ピーク時は数100フレームと計算したものが1週間帰ってこない。失敗すると大変です、全部撮りなおさなきゃいけないので(笑)」
アスキーより)

ここまでアスキー


引用終わります。




これらの記事より、レンダリングについての情報をまとめると、

「STAND BY ME ドラえもん」は、1時間30分程度。
フレームに換算すると、約12万フレーム

1フレームに10枚程度の画像を合成する。
そのため、12万フレームを作るためには、
約120万枚のレンダリング画像が必要

1枚のレンダリング画像を
レンダリングするのにかかる時間は1時間から最大6時間

記事によると、
PCはレンダリング用のマシンは200〜250台。


これらから、概算すると、
200台のPCで、120万枚のレンダリングをする、1枚あたり1時間かかるとする。

120万枚 ÷ 200台 = 6000枚/台

6000枚を処理するのは6000時間なので、
1日24時間に換算すると、250日

つまり、失敗することや、負荷が大きいカット、長い尺など、
また人間の労働時間を無視しての概算になりますが、レンダリングだけでほぼ1年かかっている。


レンダリングにとりかかる前に、3Dモデリング、テクスチャの構築、
アニメーションにするための骨やカメラのコントロールなどの作業がある。



ちょっと考えてみるだけでとても恐ろしい作業です。。。

3D CGは札束で殴りあうしかないという例えを聞くことがありますが、
レンダリングの処理を軽くする工夫も絶対必要ですが、
最後はマシンの人海戦術になるのだろうなと思いました。

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html+CSSと、Adobe illustrator。パラメトリックと非パラメトリック

最近、htmlとCSSを弄ることと、Adobe Illustratorで作業することを並行して行なっていた。
その中で、Illustratorの不便さのようなものを少し感じた。


それは、CADで語られるパラメトリックと非パラメトリックに少し似ているのかと思う。


htmlの方では、htmlの方に必要なテキストを記述し、別ファイルに装飾のためのCSSを書いた。
その為、テキストの変更はhtmlで、デザインの変更はCSSでというかたちにになっている。
1つのCSSをそれぞれのhtmlで読むようにしたので、トップのページやその下の階層のページのデザインは一括で管理出来る。
この状態から、デザインを変更したい(文字のフォントや色を変えたい、背景を変えたい、配置を変えたいetc)場合は、1つのCSSを弄れば済む。


Illustratorの方では、似たようなフォーマットを複数ページ作ろうとした。
page01.aiのデザインを修正すると、page02.ai、page03.ai、、、pageN.aiまでのN個のファイルを修正するはめになった。
1つのファイルのパラメータを他ファイルにもまとめて適応されてくれよ、と思った。
(1つのファイル内で複数のページを作ってレイヤーなりで管理しながら、⌘Aでどうにかすれば良いのかもしれないけど)
(ちゃんと調べれば、何か方法があったのかもしれないのですいません知識不足です。)


ここでの作業の違いは、パラメトリックデザインと非パラメトリックデザインの違いに似ている(のかなと思った)。
もにょもにょしたものをパラメトリックデザインと呼ぶような風潮もあるが、ここでは履歴やパラメータを保持してデザインしていくものの意とする。


パラメトリックデザインでは、適当なパラメータをあてて、関係性をどんどん決めていくことができる。そしてある程度出来た後にパラメータを調整して、デザインを変える修正することができる。
パラメトリックデザイン(ダイレクトモデリングとも呼ばれる)では、ヒストリーとして何かが残っているわけではないので、あとで前の段階で作ったものを修正ということは基本的に出来ない。


パラメトリックの機能が必要なのは、試作を繰り返す際の作業効率を大事にするような製造業というイメージがあるが、そうでない環境でも付いているとても便利だ。
(製造業向けのソフトウェア、SOLIDWORKS、Inventorなどには必ずついているはずだ)


htmlとCSSでは、CSSの方で、でごにょごにょ関係性を記述しているので、パラメトリックデザインのように、CSSを触ることでパラメータだけを後でいくらでも変えることができるし、関係性を決めたCSSを読み込んであげれば、読み込んでいるhtmlファイルをまとめてデザインが変更できる。
逆に、illustratorでは、オブジェクトが違えば色の塗り替えや、フォントの変更ができるが、ヒストリーをいじることはできない(非パラメトリック的)。おのおののオブジェクトを変更することはできるが、複数ファイル、複数オブジェクト、複数ページにまたがるものはまとめて変更できない(ちゃんとやればできるかも)。


パラメトリックデザインと非パラメトリックデザイン、もしくは、ヒストリーかダイレクトと二項対立的に語られるが、僕の個人的な感想は、前者の方が圧倒的に便利で、非パラメトリックな環境はあまり使いたくないなと思った。


自分のPCには入っているソフトで言えば、Rhinocerosでは、ヒストリーをつかわずにも(一応あるがデフォルトの設定でオフになっている)、grasshopperによりパラメトリックが可能となっている。
また、Autodesk Fusion360は、基本は無料のソフト(有料ユーザーでも安い)であるが、ヒストリーが付いているのでパラメトリックデザインが可能だ。


しかし、平面へのデザイン、グラフィックデザインの標準ツールとなっている、illustratorでは、積極的にパラメトリックを使えるわけではない。
また、スクリプトという機能もあるのだが、それは、便利な拡張機能を作るということが多いようだ。
illustratorパラメトリックを持っていないので、僕はカッティング用のデータなどであればRhino+grasshopperで作り、.aiで書き出すことが多い。


グラフィックを作るのであれば、processingやopenFrameworksで、自分でコードを書くのでパラメータをいじれるようにつくることができる。
illustratorに耐えれなくなったらパソコンがもっとできるようになったら、illustratorから離れ、別の環境で制作するようになるのかなと思った。
(後で修正する必要がないようなすごく簡単なものであれば、ヒストリーはいらないので、illustratorや、wordでサクッと作れば済むのだけど)


ちなみに、自分の周りで多くの人が使っている、ヴェクターワークスではヒストリーが基本的にないが、シンボル等の機能があり、部分的にパラメトリックデザインのように使えるようだった。


いろいろ書き出してみると、grasshopperやFusion360のようなパラメトリックデザインが可能な環境はとても優れているなと改めて感じた。
そして、illustratorで不便な思いをしまくてもいいように、コードを書ける力をつけたいと思った。

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htmlとCSS

webサイトを作った。

naysok.org



各ページはhtmlで最小限だけ書いて、そこでは装飾をせずに、1つもしくは幾つかのCSS(jsも)で一括でスタイルを管理できるのが便利だと思った。


イラレで、複数ページの文書、ポートフォリオ的なものを作るときに、1ページ目を修正したから、他のnページ分それぞれ全て修正しないとというのがアホくさく見える(イラレでもできるのかもしれないし、InDesignでやれやっていうものかもしれませんが)。

僕がイラレが下手くそなのか、イラレがそういうものなのかわからないが不便に思えることもある。

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道具と作品、表現

絵が模型がめちゃくちゃ上手い
ソフトウェアがめちゃくちゃ使える

それは、良い彫刻刀を持っているだけであって、良い彫刻が作れるかどうかとは全くの別物では。

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小学生の時に買う5本か6本の子ども用の彫刻刀セットは、(おそらく)刃の鋭さよりも手入れしなくて良い事を優先したような刃であるし、基本的な数種類の刃先のものしか入っていない。

それらに加えて、良い材質ですごく綺麗に掘れるものや、特殊な形の刃先のものを手に入れれば、子ども用のセットでは作れない、ダイナミックな、複雑な彫刻を作ることが出来る。

良い彫刻刀を持っていれば、表象として良く見える彫刻が出来る(かもしれない)が、彫刻(作品)そのもの、表現の本質的なところではそれは違うのでは、という話を、ある優秀なアドオンを触っていて少し思い出した。

優秀なアドオン → Weaverbird – Topological Mesh Editor | Giulio Piacentino


作家(何かを表現することを生業にしている人間)の立場にいる大野さんにもっと色々つっこんで聞いておけばよかった。

表象として良く見える、悪い作品なんでもない作品てどんな…



良い彫刻刀を持っている知っているからこそ、それからインスピレーションを受けて、表現の幅が広がると言われれば、確かにそうなのですが。



もっと言ってしまうと、表現のもととなるインスピレーションを求める(歴史や文脈を探る、ピンタレストでネタを探す、人と話してアイデアを広げるetc)こと、それも良い彫刻刀を探しに行っているだけという、どこまでが道具でどこからが作品の本質かという話になってしまいそうで。

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成果(物)と、その過程

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面白い記事を見かけた。
クロップ監督はショックを隠し切れず「全ての批判を受け入れなければ」 | サッカーキング



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記事より引用

リーグタイトルが遠ざかったことについては、
「それは私の中で最も大きな問題ではない。
私はこのチームでもっと良いフットボールをしたい。
我々はシーズンで成し遂げるべきことを示さなければいけない。
我々はこれまでにそれを何回か、しかしはっきりと一貫して示してきた。
これは、何よりもまず我々が変えなければいけないものだ」
とコメントし、目標の修正を示唆。

スポーツにおいて、特に優勝することを請われて監督をしているのに、
優勝が遠くなることを大きな問題ではない、それよりも良いフットボールをと言ってるけど...



結果(成果)と、その過程について考えることがあるが、それについて良い例かもしれない。


例えば、
アジアの弱小国に負けた試合後、
本田圭佑が「自分たちのサッカーができてよかった」と言ったら、どうなるのだろうか
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自分たちのサッカー の検索結果→Google



別の例を挙げれば、
めちゃくちゃ押し込まれていて、チームは良いところなし、しかし、審判の誤審でPKを貰い、決めて試合に勝った。
そのような時、渋谷のファンはスクランブル交差点でハイタッチするのだろうか。
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ハイタッチ→日本代表戦で恒例となった“渋谷ハイタッチ”。痴漢も発生する迷惑行為は今すぐ自制せよ | フットボールチャンネル | サッカー情報満載!


良い成果(物)と、良い過程は、必要十分条件ではないのだとわかる例。

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170205

最近、ちょっと調べてまとめているものなのですが、名和晃平のDirectionという作品が気になっています。

形態言語というのかあやしいのですが、
なにかしらのルールと、それによる形があること、
その関係が見つけられなくても(知らなくても)成立しているという作品の形も気になります。

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「アセンブル_共同体の幻想と未来」展

表参道のGYREでやっていたAssembleというアートユニット、集団(彼らのHPでは、collectiveと自称している)の「アセンブル_共同体の幻想と未来 展」という展示を見に行った。

assemblestudio.co.uk
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表参道のGYREにて建築家集団ASSEMBLEの展覧会「アセンブル_共同体の幻想と未来」展が開催 | RETOY’S web Magazine


いくつかのプロジェクトが、それらは公共的な利益性が強いように見える、写真や映像などによって示されていたされていた。

どのプロジェクトも何も考えずに見れば、ポップで親しみやすい良い建築だと思えるけど、展示タイトルに掲げられた共同体って言葉や、テクストを読むとやっぱり…とも思えた。

a+uの2014年12月号 特集:建築家たちのエクスペリメントのインタビューなどからも)

この頃の諸々、昨年のゼミや、新建築2017年1月のクマ論文などからも感じていることですが、こじんてきにはうーんと思うこともあった。

ゼミではツバメアーキテクツの山道さん千葉さんにお話を聞いた↓
ysok-na.hatenablog.com


アセンブルのプロジェクトや、伊東のみんなの家を、多くの人が絶賛する空気が、建築を作るときには公共の利益や社会性を最優先しようね!(芸術)表現はなんておかしい!社会が大事でしょ!と、弾圧というか同調圧力に見えてしまう。

公共性、社会的利益を待たなくても、見た目だけでも良い建築があれば、テンション上がるじゃんとか思います(金沢に行った人たちが100パーセント写真を撮ってくる、金沢駅の門なんて機能的には何の意味もない建築では?)。

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170115

ポスト・ポスト構造主義のエステティクス / 千葉雅也+清水高志
現代思想2014年1月号 特集=現代思想の転回2014 より)

清水のセール、千葉のドゥルーズ




第一哲学としての美学 グレアム・ハーマンの存在論 / 星野太
現代思想2015年1月号 特集=現代思想の新展開2015 より)

ハーマンは、オブジェクト指向存在論(Object-Oriented Ontology(OOO))として、
絶対にバラバラでありながら、関係もしているというオブジェクトについての理論を組み立てる。

絶対にバラバラでありながら、関係もしているというオブジェクトをハーマンの説明を借りると、
あるオブジェクト全体を、統一オブジェクトと呼び、
統一オブジェクトの中には、感覚的オブジェクト(というレベル?)があり、
その下に実在的オブジェクト(のレベル?)がある。
そして、感覚的オブジェクトが、実在的オブジェクトの存在を魅惑、暗示している。
(魅惑:allure / 暗示:allusion)

オブジェクトAとオブジェクトBがあるとを仮定すると、
AとBの、感覚的オブジェクト(のレベル?)では、相互に「関係」し、
AとBの、実存的オブジェクト(のレベル?)では、絶対的に「孤立」、独立している。








参照
青土社 ||現代思想:現代思想2014年1月号 特集=現代思想の転回2014

青土社 ||現代思想:現代思想2015年1月号 特集=現代思想の新展開2015

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形態の成り立ち、由縁

170104のdirectionについての補足(?)


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多摩美北側バス停前を敷地としたコンプレックスの設計。

(170106の提出の仮テキスト)
多様な活動を受容し、それらをつなぐ場を目指した。

まずそのような場として、
古代ギリシアアテネで採用されていたアゴラを参照とした。
アゴラとは、神殿や役所のような施設、店舗などを周辺に配した広場である。
そこでは人々がを集会を行ったり、酒を呑みながら熱く議論したり、
多様な活動が行われていたという。
アゴラに倣い、広場を中心にその周辺にそれぞれの機能を置くこととした。

広場には、影を落としたくなかったので、ボリュームを北側に寄せたが、
そのままでは、柚木街道側から巨大な壁のよう圧迫感が生まれてしまうと予想された。
それは避けたいので、左右にボリュームを割り中央から広場に抜けの空間をつくることで、
壁のような圧迫感が消し、加えて広場に良い開放感が生まれた。


ボリュームの置き方が決まり、さらに、建築の形状を決めていく。
そこでは、従来の柚木街道を東から進んでくるときに、
一番最初に見えてくる多摩美の建築である本部棟や絵画棟の
ぼこぼことした特徴的なファザードのイメージを反復させた。

これらの建物では、少しだけ張り出した2階の軒下や、
踊り場と廊下のどちらとも呼べない場、入り組んだ廊下の曲がり角、
なんとも言えない空間の隅で、自由気ままに過ごす人が多く見受けられる。
ぼこぼことした形状に引っかかれるような、
なんとなくたむろできるような絶妙な空間が生まれていた。

ボコボコとしたイメージを反復することで、
ふらっと来てついつい長居してしまうちょうど良い空間、
心地よい時間を過ごせる絶妙な空間を探せる余地、とっかかりを作ることができた。

アゴラの参照は何億番煎じなの?ということ、
引っかかりは平田のからまりしろのパクリでは?ということはここでは言及しません。



前回書いた、

単純に形態そのものについてや、その形態の発生している由縁であったり、
形態やその状況の意味の不明さというものであったりのほうに関心があったりなかったりする

について

別の言い方をすると、
何もないところから、えいや!っと線を描き色を塗るのには抵抗があって、
その設計がどのように設計されているか、
その形態がどのようなことに紐づけられているか、
そのあたりを明確にしながら制作をしていきたいという感じです。

そういうこともあり、今の段階だと、
最初にのせたプレゼンボードの画像のように、長々とテキストを書いてあります。



教員からは、いちいち由来なんていいから、
プレゼンのときはどんな活動をするどんな空間を作ったかどうかだけ話しなさいと言われました。
形態の成り立ちについてをだらだらとしゃべらなくてもいいという指導と、
設計に際して考えなくても良いということは、別なので教員の指導がおかしいという意味ではないですが、
その成り立ちについて、自分は関心があるのでプレゼンでもだらだら喋りたい気もします。

プレゼンでだらだら喋るのかどうかを別にしても、
物そのものよりも、物とその成り立ちとの間、物のその背後にあるなにかが気になっているので、それを追いかけたいと思っています。
(やばい何かやばい建築を凄いなとは思うことがありますが)

その形態がどのように設計されているかをまず考えていきたいということについてに
設計の過程ではなく、成果物の質に執着しろ。
何かを作る人としては、まずは作品そのものの魅力を第一に考えるべきでは?
という指摘があったので、後で追記します。



形態の由縁の考え方について、文脈とともに評価されている作品として教えてもらったものなど(調べ次第随時追加)

マルセロ・デュシャンの泉(1917)
男性用便器に架空の人物のサインをしたもの。
レディメイドの概念の発生。

ジャクソン・ポロックのポーリング、ドロッピング(1943-)
カンバスと離れた刷毛から絵の具を落とす手法(アクションペインティング)で抽象絵画表現を探求。

ジョン・ケージ4分33秒(1952)
実験音楽家のケージが無音の不可能性に対して制作。

磯崎新群馬県立近代美術館(1974)
師・丹下健三の独自のプロポーションによる美の解体を目指し、
1200mmのグリッドを基準に設計している。




やばい何かやばい建築
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参照

磯崎新をどのように読み継ぐか──批評・手法・歴史をめぐって
浅田彰京都造形芸術大学教授)×岡﨑乾二郎(美術家・批評家)×日埜直彦(建築家)
http://10plus1.jp/monthly/2014/10/issue-01.php

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170104

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特定の誰と誰が、とは言わないけど、
デザインの仕事をしている人、建築の設計の仕事をしている人、
自分(たちが)が、社会の中で特別な存在だと思いすぎではないかなと思いました。
別に、他のすべての仕事と同じものではないですか??

なにが、ソーシャルなんとかだよ。。。
自分は、構造設計の仕事をしている人のことを構造屋さんて呼んでるだろうに、
ほかの仕事の人に、設計屋って呼ばれたら怒りませんか??


デザイン学科という呼ばれるところで、
授業を受けているその中での僕の個人的な感覚として、
社会を変えるだとかの使命感だったり、社会的な意義だったりについて、
そんなこと知らんがな死ねや、
とは口に出してはいけないという感じがなんとなくあります。

それを言うとおそらく、デザイナー先生建築家先生は、
アートならそれでも良いけどね、っていう言い方をします。
アートよりデザインの方がすごいものだと思っているような(端から見ればそう見える)教員と、
アートに対して一定の尊敬を持っている(ようにみえる)教員が混在しているので、
一概にその言葉についてはなんとも言えません。


社会的な意義なんて知らんがな死ねや、
とまでは思いませんが、
僕自身は、それよりももっと小さなこと、
なんというか、
単純に形態そのものについてや、その形態の発生している由縁であったり、
形態やその状況の意味の不明さいうものであったりのほうに関心があったりなかったりします。

これとか最近良く見ています。
vimeo.com


大学の設計課題の中で、なんか建築家のそれっぽい文章を書いたり、消したりとしていたけど、
おえー、っとなっていたので少し書きました。




ooooo


追記 0

飯島先生か誰かが言っていたことですが、
資本主義の象徴とも言える高級ホテル、
ハイアットグループが選んでいるプリツカー賞で、
社会性に強く関心を持ち活動しているアレハンドロ・アラヴェナが選ばれた、というのも
今考えると、
社会性は無視できないものになっているこの時代の機運かもしれません。

アラヴェナの、集合住宅の図面をオープンソース化のプロジェクトを以前全訳したものがこれ。
ysok-na.hatenablog.com




ooooo


追記 1

社会的意義至上主義(?)について、
これが今の建築だという隈の論考を飯島先生に教えて貰いました。

新建築2017年1月号
【建築論壇】
グローバリゼーションのあとにくる建築
アート・エコノミーからシェア・エコノミーへ

資本主義(アート・エコノミー)の中で、
アーティストとしての振る舞った磯崎に対して、
今の時代(シェア・エコノミー)の中では、
みんなの家を作った伊東、負ける建築という考えに至った自分を挙げ比較している。




ooooo


追記 2

伊東豊雄のみんなの家のことや、
ヴィネチアヴィエンナーレ2016のことを思い出したので追記します。


建築の社会的な意義に関心を向けなければいけない状況になっていることについて、
それを象徴するような建築や、展示がありました。


伊東のみんなの家は、

普通にダサくて、これが正義だ!と言われると結構萎えます。
普通にダサくて、これが正義だ!と言われると結構萎えます。
普通にダサくて、これが正義だ!と言われると結構萎えます。
普通にダサくて、これが正義だ!と言われると結構萎えます。
普通にダサくて、これが正義だ!と言われると結構萎えます。

これもヴィネチアヴィエンナーレに出展されました。
itojuku.or.jp





ヴィネチアヴィエンナーレ2016の日本館が、
テーマが「 en[縁]:アート・オブ・ネクサス 」と掲げられ、
現代の共同体をテーマとした建築の社会的な意義というものに関する展示であったようです。
審査員特別賞をもらっています。

2016.veneziabiennale-japanpavilion.jp
casabrutus.com


以下、プレスリリースより引用(https://www.jpf.go.jp/j/about/press/2015/dl/2015-031.pdf

ステートメント
若年層を中心に失業が慢性化し、格差や貧困の度合いが日々昂進している今日の日本において、戦後の「高度経済成長」はもはや遠い過去の歴史的事象のようなものとなってしまった。近代日本の「経済成長」とともに創りだされた建築作品のいくつかは世界に誇れるものであったが、輝ける日本の「近代建築の変化100年」は、前回のヴェネチア・ビエンナーレ日本館において「現代建築の倉」に収蔵され、「高度経済成長」をピークに生み出された建築作品の数々はすでに歴史家の対象となっている。

情報環境を劇的に変化させたインターネットの普及など、時代の指標となる事象はさまざまにあるが、競争原理をその核にすえた新自由主義は、戦争やテロ、放射性物質による環境汚染などと異なり、すぐ目の前にある脅威とはとらえにくいものの、いまや社会の隅々にまで浸透してその屋台骨を深く蝕んでいる。とはいえ、「進歩」といった大きな物語、メタ物語が社会のエンジンとして駆動したモダンの時代、そして高度成長期とは異なり、こうした現状、動向に抗して目標となる未来の姿を描いてそこに向かっていくこともできず、われわれの社会には閉塞感のようなものが暗く、重く覆いかぶさっている。

そしてさらに 3.11 以降の喪失感が加わったなかで、日本の社会は大きな転換期を迎えており、近代国家の描いた「都市における幸せな家族像」が崩壊する一方で、「“SHARING”(価値観やライフスタイルなどを共有)する新たな共同体」が出現しはじめている。このような時代にわれわれの建築はどのようにつくられているのか。そして、どこへ向かおうとしているのか――われわれがいま注目するのは、その多くが、モダン・ムーヴメントのプロパガンダ装置であった建築雑誌などを華やかに飾るようにも、また、近代国家を形成してきたこれまでの建築の枠組みのなかでそれらを大きく変えるような力を秘めているようにも――少なくとも表面上においては――見えない建築群である。それは、今までの社会のあり方、それぞれのさまざまな関係性、すなわち本展のテーマである「縁」を変えることに重点を置いているからと考えられる。

本展では、大きな物語やなんらかの旗印のもと、モダン・ムーヴメントに見られたような運動体を形成するということなく、直面した状況課題に対して、それぞれ個々に戦われているその戦いの多様な様相を見てみようと思う。困難な状況を超えて生き延びる(survive)ためのこの最前線(front)での戦いは、まだ胎動を始めたばかりのものが多いかもしれないが、社会変革のベースをつくっていく、そんな潜在可能性をもっている。
山名善之

3.11 以降の喪失感に対してということで、それ以後の建築の姿をみせるということでしょうか。
3つの en に分けて展示されたうちのひとつに、ヒトのenというものがありますが、
縁側とか共有スペース、中間領域だとか、
そのようなふわっとしたつまらない提案に思えます。。。


社会的意義至上主義(?)の建築作品、全然魅力的に思えないのは僕だけですか。



ooooo


頭に載せた画像は、
とりあえずわかりやすい人がいたので載せただけで、
藤村龍至がそういうタイプだとか個人的に嫌いだとか、そういう意図は特にないです。
藤村の著作「批判的工学主義の建築」、前半部分はすごくしっかりしているのでおすすめです。
共著で出している「設計の設計」では、
共著者から結構厳しく突っ込まれて、それについてうまく答えられていませんが、
松川昌平の章の、かかたかたちについての部分が面白いのでおすすめです。

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